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2013年08月

安国寺恵瓊ゆかりの不動院。

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記事書き始めて、安国寺恵瓊(えけい)の「恵瓊」が一発変換できたことに驚いた。



この前、広島に行った時のこと。
少し時間があったので、不動院というところに行く。



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ナビをたよりに住宅街をくぐりぬけて、最後は参道を通過して境内横の駐車場に到着。



すると。



なんということでしょう!



工事をしているではありませんか。ショックです。



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国宝不動院金堂保存修理工事、だそうです。



まあ立派な楼門があるけん、それを見て帰ろう。   
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1594年ころの建立とのこと。古い。戦国末期。




浜田城跡。

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(前記事からの続きで島根県浜田市)



護国神社の奥へ入っていくと、立派な城跡がありました。



まずは、司馬遼太郎の文章による浜田藩追懐の碑があります。





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以下、文章を書き写し。



 石見國は山多く、岩骨が海にちらばり、岩根に白波がたぎっている。   
 石見人(ひと)はよく自然に耐へ、頼るべきは、おのれの剛毅と質朴と、たがいに対する信のみという暮らしをつづけてきた。    
 石見人は誇りたかく、その誇るべき根拠は、ただ石見人であることなのである。    
 東に水田のゆたかな出雲があり、南に商人(あきうど)と貨材がゆきかう山陽道があり、西方には長門・周防があって、古来策謀がそだち、大勢力の成立する地だった。    
 石見はそれらにかこまれ、ある者は山を耕やし、ある者は砂鉄や銀を採り、ある者は荒海に漕ぎ出して漁をして、いつの世も倦むことがなかった。    
 浜田の地に城と城下がつくられたのは、江戸初期であった。幕府は、この城をもって、毛利氏という外様藩に対するいわば最前線の牙城とした。    
 以後、藩主は十八代を経、城は二百四十八年つづいた。幕末、西方の長州藩が革命化して、幕府の規制から離れた。    
 長州軍は時のいきおいを得、また火力と軍制を一新させ、各地で幕軍を破った。    
 ついには浜田城下に押しよせた。浜田藩は和戦についての衆議がまとまらず、さらには二十五歳の藩主松平武聰は病臥でもあって、曲折のすえ、みずから城を焼いてしりぞいた。明治維新に先立つ二年前の慶応二年(一八六六)のことである。
 いま、城あとは苔と草木と石垣のみである。それらに積もる風霜こそ、歴史の記念碑といっていい。 司馬遼太郎



無駄がないなかに情熱がある。さすがに名文。






島根県浜田市の護国神社。

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島根の浜田から江津にかけて記録的豪雨とのこと。





先月、その浜田市に行った時、浜田城跡があったので行ってみました。   
途中、山道をずんずん車で上っていくと開けた場所に着きました。が、城跡っぽくない。護国神社がありました。





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広い境内です。



いろいろあります。



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抱月碑。   
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島村抱月。浜田市出身。よく知りません。



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柿本人麻呂終焉の地との伝承もあるようです。興味が湧きません。




秋山真之終焉の地。

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また前記事の続き。



小田原城に着いてすぐ観光案内のおじさんがいて、周辺の案内図をもらいざっと見。



すると、「秋山真之終焉の地」との記述があり、おじさんが言うには「なにもないよ」とのこと。
しかしながら、「坂の上の雲」好きやし、松山市に長く住む身ともなれば、これはぜひ見たい場所なのでした。



小田原城を見た後に、地図に従って坂を上っていきます。



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清閑亭なるものがあります。



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黒田長成(ながしげ)という人の別邸で、明治39年のものだそうです。
黒田清隆とかなら、もう少し興味が湧くものの、長成という人を知らないので。



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坂を下ったところに天満宮があり。



さらに住宅街を歩いていきます。   
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報徳二宮神社。

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時系列がむちゃくちゃですが、小田原に行ったときの記事続き。



小田原城のすぐ近くにある報徳二宮神社。



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小田原城梅まつりのついでか、参拝している人がたくさんいました。



ここは、かの有名な二宮尊徳をまつった神社のようです。



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二宮金次郎の像がものすごい有名ですけど、何をした人かよく知りません。



案内板によると農政家・思想家。



経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である



「素晴らしい人物」のようですが、時代性なのか近年はあまり評価されてない印象。




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